人生は後悔と不安の連続。人間は一つ一つを乗り越えなければならない。
何となく、そんな前提が社会にはあるような気がしますが、そもそも「後悔」と「不安」って何だ?
「後悔」と「不安」という感情はいったいどこからやってくるのか?
それを整理する前に、盲目的に社会の前提を受け入れることは正しいのか。
今回はそんなことを検証してみます。
「後悔」と「不安」の源泉は何か?
「後悔」や「不安」という感情の源泉は果たして何なのか。まずはそれを整理しない限りは、「後悔」や「不安」という感情を議論することさえも不可能。
「後悔」という感情は、どの方向にベクトルが向いているか。それは、明らかに「過去」という概念。過去に”しておくべきだった”こと、”するべきでなかった”こと。これらが「後悔」という感情を生み出す。これには異論はないはず。つまり、「過去」という概念があって初めて、「後悔」という概念が成立するわけです。
同様に、「不安」という感情は「将来」という概念のもとに成り立っているのは明らか。”将来”、どんな生活をしているのか。人間関係はどうなっているのか。自分の健康状態はどうなっているのか。究極的には「死」への不安かもしれない。いずれにせよ、「将来」という概念が「不安」を生み出している。
「過去」と「将来」は”リアル”か?
ここである疑問が。そもそも、「『過去』や『将来』という概念が本当に存在している」という確証はどこにあるのか。
???と思うかもしれません。
まずは「過去」について。確かに、過去の記憶は「写真」や「動画」や「メールの送受信の履歴」等の記録によって思い起こされるかもしれない。ただ、現在に生きている人間の意識が、「過去」を100%経験することはできるのか。言い換えれば、それらの記録によって呼び起こされる記憶は100%正しいのか?ということ。例えば、卒業アルバムを見て昔を懐かしむにしても、「現在の自分の持っているバイアス(思考のフィルター)」を介さずして記憶を蘇らせることは不可能。つまり、「過去」という概念には常に「脚色」や「思い込み」が含まれていることを否定できない。
「将来」という概念は、さらに”リアル“とは程遠い。「過去」とは違い、記憶はおろか記録さえも全くありません。そんな「将来」という概念を、確かなものとして規定するのは不可能に等しい。
「過去」や「将来」を”生み出している”のは?
「『過去』や『将来』が確かに存在する概念である」という考えが、確からしい可能性は低いとして。それでは、それらの感情を”生み出している”のは何か?それは明らか。あなた。そして私たち人間一人一人。
つまり、「過去」や「将来」という概念は数学のように確かなものではなく、私たち人間が作り出した概念であり、そもそも存在するか自体も疑わしい。そのような不確実な概念から派生している「後悔」や「不安」という感情に、日々悩まされるのが”普通”だと、社会の前提はそう教えている。それは正常だろうか。いや、少し笑えて来る。そもそも無いものを悩んでどうするのか。
「後悔」や「不安」を乗り越える方法は?
それでは、「後悔」や「不安」を乗り越える方法はあるのか。ある、というか、そもそも「後悔」や「不安」という概念、そして「過去」や「将来」という概念自体人間が作り出したものに過ぎない。だから、自分で作ったものは、自分で解体できる。いたって簡単な話。つまり、無いものに頭を悩ませる代わりに、自分たちがいる「今」を生きればいい。「今」の細部にこだわり、100%のエネルギーを集中させる。「過去」や「将来」という幻想に囚われて、「今」という確実な瞬間を無駄にする必要はもうない。
Photo by Fernando @cferdo Jeremy Thomas Aron Visuals Andre Mouton Benjamin Davies
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