「論理的思考」は、近代社会の構造を変容させ、科学から国家という概念まで、現在の「常識」ともいえる概念を作り上げてきた。そのことを前提に、現代社会で生きる者にとって、論理的思考を持っていることは必須条件であり、さらに大きな武器になっている。論理的思考の”鋭さ”こそが、社会での”成功”のカギである―
今回は、「論理的思考」が現代社会を”支配”するまでの過程をたどり、現在において、その価値観が社会に与えている影響、そして僕たち人間一人一人の生活、思考、幸福度など、様々な問題との関係について考える。そして、全ての要素を考慮に入れたうえで、「論理的思考」に基づいて生きることは果たして合理的なのかについて、深く考えていきたい。本当は、変わりゆく社会の中で、僕たちは「論理的思考」との関係性を見直す必要性があるんじゃないか。
「論理的思考」が、現代社会の基盤
言うまでもなく、現代社会は「論理的思考」が基盤になっている。政府、企業、教育機関。近代以降に作られた組織や概念は、論理的な思考に基づくことが前提になっている。国家や政府の存在目的は?国土と国民を守ること。企業の存在目的は?利潤を最大化し、出資者にリターンをもたらすこと。教育機関の存在目的は?科学的な思考を養い、社会にとって有用な人材を輩出すること。これらのどれをとっても、完全なロジックにより成り立っている。
19世紀の「啓蒙主義」、そして「資本主義」
これらの概念は、近代以降の「啓蒙主義」によって浸透したと考えられる。精神性の象徴とされる教会に変わり、論理的思考を重視する国家や大学などが台頭し、無知な人々を”真実”に導いていく(enlightenment)。論理的思考は科学を急速に発展させ、都市の開発を進展させた。人々は「資本主義」の担い手として、論理的思考を身に付けていった。
「論理的思考」を支える左脳
「論理的思考」を支えているのは、「左脳」だと言われている。このことは正確かどうかは分からないが、便宜上、「左脳」という概念を使っていく。左脳が得意なのは、注意深く、計算やロジックを組み立てていくこと。戦略を立て、最大の利益を求めていくことだともいえる。いうまでもなく、このような能力は現代社会における様々な経済活動や教育、国家の活動などに親和性が高い。
「サバイバル」は存在するか
このような特徴を持つ左脳的な思考は、常に「サバイバル」の世界に生きている。食べ物を確保できるか?作物がクマに荒らされないだろうか。ライバル企業を蹴落とすには?隣国が侵攻してきたらどうする?左脳が想定しているのは、常にこのようなシチュエーション。しかし、ここで疑問がある。現在の先進国、特に日本のような国で、このような心配をする必要はどれだけあるだろうか?もちろん、全くないとは言わない。家に空き巣が入るかもしれないし、いきなりコメの値段が高くなるかもしれない。だけれど、ほとんどの場合、「サバイバル」の観点で大きな心配をする必要は無いんじゃないか?確かに、発展途上国では、いつでもこのような心配に悩まされる必要が、残念ながらあるかもしれない。でも、ここは日本だ。正直言って、「サバイバル」の心配をする必要は、ほとんどない。
「直感」や「感情」は、不要?
そんな幸運な日本のような国で、重要視されている価値観は何だろうか?驚くなかれ、「論理的思考」。言い換えれば、「サバイバル能力」。もしかしたら、僕たちはたいして必要でもないことを讃えているのではないか?「直感」や「感情」など、右脳的な思考は、完全に無視されているのに。
サバイバルは左脳。幸せは・・・?
僕は、論理的思考を否定しているわけではない。むしろ、インターネットや高度な金融市場など、左脳的思考による恩恵は数えればキリがない。論理的思考は、絶対に必要だ。そうではなく、サバイバルの必要が極めて低い日本のような先進国において、左脳的思考のみで生活しているのは、正直言って脳の使い方の効率が極めて低いということ。個人差はあるにせよ、あらゆる人々の生きる意味は幸せになることのはず。そして、皆さんもご存知の通り、銀行の預金残高が増えたり、ポルシェに乗ったりすることで急に幸せになれるほど、人間の脳は単純にはできていない。つまり、左脳をいくら使っても、日本のような国ではあまり幸福度を高めることはできないということ。だから、ほとんどの場合、ただの時間の無駄。つまるところ、幸福度を高めるためには、もう片方の脳を使うしかない。
We are human beings, not human animals
本を読んだり、絵をかいたり、楽器を奏でだり。何となく自然の中を散歩して楽しんでみたり、友人と旅に出たり。このような活動をする”動物”は、僕はホモ・サピエンスしか知らない。右脳的な活動は、僕たち人間が持つ特権であり、最高の幸せをもたらしてくれる。反対に、食べ物を確保したり、繁殖活動に精を出したり、他の群れに対決を挑むのは、ほとんどの動物がやっている。しかし、残念ながら、現代社会は、こちらの価値観に寄っていると言わざるを得ない。そもそも、僕たちはhuman beingsのはずだ。human animalsではない。僕たちが人間でいるためには、右脳的な活動が不可欠。
新たな扉を開く鍵
断言する。僕たちが一人の人間として新たなステージに入るために必要なのは、左脳と右脳のバランスをとること。どちらに偏ったとしても、人間として最高のポテンシャルに到達することはできない。現代の日本に関していえば、僕たちはもっと右脳的な活動が必要だ。直感を信じ、クリエイティビティを発揮する。一人一人がこのことを意識し、生き生きと過ごすことができれば、僕たちは人類史上最高になれる。僕たちが生まれた現代は、そんなチャンスなんだと、僕は信じている。
Photos by Pablo Heimplatz ben o’bro Roman Mager Donald Giannatti Arnel Hasanovic AJ Robbie Syd Ainsworth Robin Benad Eddy Klaus
Thank all of you very much. Much love.
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