本当に競争は”効率的”なのか?自分史上最高の一日を目指せ。

哲学

競争」は、社会で生きるうえで避けては通れない。

 

これが、一般的に共有されている価値観だ。しかしながら、本当に競争は効率的なのか?競争をすることで、自分自身のポテンシャルを最大限まで高めることが出来るのか?手段であるはずの競争自体が目的になって、本当の目的を見失っていないか?そのようなことを考えていきます。

他者との競争が、良い緊張感をもたらす

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まず、競争は僕たちに緊張感を与えてくれる。正直、緊張した状態が僕たちに最高のパフォーマンスを与えてくれるわけではないことは、スポーツなどを見れば一目瞭然だけど、まあ、そこには一旦目を瞑ろう。競争があることで、僕たちはなんとなくやる気になるし、やりたくないこともやろうとする。ある意味で、競争が僕たちのカタルシスになっているケースは多い。野心的な人にとっては常にそうだろうし、そうでない人も、お尻に火が付いたような気持ちで頑張ることは多いだろう。

そもそも他人に「勝利する」ということは可能なのか?

world cup trophy

ただ、ここで考えるのは、そもそも「勝利する」というのは何だ?ということ。「競争」には、もちろん勝利と敗北がある。敗北を目指して戦う人は、よほどの少数派であろう。基本的には、いかに勝利するかが重要だ。勝利とは、客観的な指標があって初めて成立すると思う。陸上のタイムなんかは客観的な数字だし、サッカーのスコアもそう。例外はあるかもしれないけれど、基本的には、僕たちは競争をするということで、客観的な指標のもとですべてが解釈できる世界に足を踏み入れることになる。

目的と手段を混同してはいけない!

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しかし、「人生」というもっと大きなスケールで、本当に僕たちの最大の目標は、「客観的なスコア」を積み上げることなのか?ということを考えたい。僕もスポーツは好きだし、ほぼ毎日やっているけれど、スポーツの考え方を、人生に適応してしまってはいないだろうか、ということを考える必要があるんじゃないか。そもそも、競争は僕たちの行動の効率性を上げるための手段でしかない。けれど、スポーツなどの価値観によると、競争自体が目的になる。競争自体を目的にする考え方を、日常生活に応用した途端、人生がなんかおかしくなる、そう思わないだろうか?

Alexander the Greatest Stupid

king and queen

Alexander the Great。アレクサンダー大王のことだけれど、どこがGreatなのか考えたことのある人はいるだろうか?僕も歴史はそんなに詳しくないけれど、アレクサンダーは巨大な帝国を作り上げたマケドニアの王である。確かに、いかに巨大な帝国を築き上げるか、という観点でいえばグレイトかもしれないけれど、その間にどれだけの人を、単なる自分の野望のために犠牲にしたか、を考えれば、そこまでグレイトではないだろう。それでも、僕たちは彼をグレイトと呼ぶ。もしかしたら、僕たちの考え方も少し、彼の方に傾いているのかもしれない。

結局は、自分自身の力を伸ばすということ

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要するに、他人に勝利することが自分の幸福度を高めるのか?ということが問題だ。もし、あなたが他人の不幸を楽しむタイプなら、そうなのかもしれないけれど、まあさすがにそうではないだろう。さらに、競争には終わりがない。競争と幸福が結びついている場合、一番にならない限り、一生不幸なのかもしれない。競争は目的ではなくて、手段である。僕はそう思う。他人と競争することで、ある分野での自分自身の成長を高められる。それが競争の美しいところ。結局は、自分自身を高めることが、究極の目標である幸福にダイレクトにつながっていくのではないか、と考える。

自分史上最高の一日を目指す

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そうであれば、話は簡単だ。昨日の自分を超える。常に、毎日、起きたときにそれを目指す。自分自身最高の一日を過ごすために、少しずつ、着実にハードルを上げていく。もちろん、そのために他者との競争が役に立つだろう。だけど、絶対に手段と目的を混同してはいけない。自分自身の成長、自分自身の幸福。この軸がブレなければ、なんか変な感じになることはない。自分自身を安定させられれば、幸福を他者に分け与えることもできる。自分自身に勝つ。これが最もスタンダードかつ、最強のマインドセットだと思う。

 

Photos by Micaela Parente Fauzan Saari Devin AveryPiotr Makowski Aneta Ivanova David Marcu Elizabeth Jamieson
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