「目標を立てる」ことは果たして合理的なのか?

trekking 哲学

「PDCAサイクル」という言葉があるように、現代社会のシステムにおいて「目標の設定→具体的な行動」という流れはいわば主流になっている。私たちは絶えず新たな目標を設定し、それに対してある一定のコミットメントを続けることを求められるものだ。しかしながら、この一見合理的な考え方は、何かを見失ってしまってはいないだろうか?

「目標を立てる」ことは現代社会の美徳である

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計画通りに何か実行させることは、現代社会における最大の美徳と言えるかもしれない。あらゆるコミュニティで、あらゆる場面でこの能力が取り沙汰されている。「生産性」や「タスク管理能力」などを謳った本や雑誌をAmazonなどの本屋で見つけることはたやすい。また、計画通りに実行できるか否かは別にして、単純に「目標を設定する」ことが強く求められていると感じる。その価値観は、小学校の卒業文集で「将来の夢」についての作文を掲載したりと、意外と早くから馴染んでいる。いわば、目標を設定し、その通りに実行できる人間こそが現代社会における理想像のひとつかもしれない。

「目標設定」への違和感???

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しかしながら、「目標設定」を行うという作業には若干の違和感を伴う。実際、「将来の夢は?」と訊かれて自信をもって答えられる子供がどれだけいるのだろうか。この違和感は、年を追うごとに大きくなっていく気がする。こういった行為は本質的には何を行っていることになるのだろうか?そして、この、目標設定に対する違和感抵抗感の源泉はどこにあるのだろうか?

「目標を立てる」のはいつも「現在の自分」

a man in a field

この問題について考えるには、まずは「目標設定」の主体について考える必要があるかもしれない。志望校を決定し、予算を管理する。規模の大小はあるにせよ、基本的に目標設定を行っているのは自分自身。それも、「目標設定を行っている時点」の自分自身に限られる。

「目標」は、「自分の思考回路」から逃れられない?

a bird in a cage

しかし、ここで思考を停止させないでほしい。「現在の自分」が「目標」を立てることの意味を深く考えたい。現在の自分が立てた目標は、永遠に「現在の自分の思考回路」から逃れられないのでは?その目標は、自分の知識や経験の範疇の中でしか意味を持たないのでは。あなたがその目標に向かって進むのならば、つまるところ、あなたは「現在の自分自身が想像しうる姿」の、その先に向かうことはできない。未来は不確定で、確実なものでないとすれば、その曖昧な存在をコントロールしようという行為は、果たしてどれほどの意味があるのか。

「無知の知」こそ最大の叡智である

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現在の自分が将来に対して決断を下すとき、それは「現在の自分自身の知識や経験」に頼ることになる。ここで深く考えたい。あなたが今持っている知識や経験は、全世界的な視点を持った時、果たしてどれほどの価値があるだろう。今や、ごく軽量のマイクロチップが、人間よりもはるかに多くの記憶を保存できるようになった。そう考えたとき、人間が持っている知識などたいして役に立たないように思える。それよりは、自分自身が無知であることを自覚するほうがより価値があるのでは。

「今この瞬間」を全力で生きる

a man and lake

そう考えたときに、「目標を立てる」という行為が、社会でいわれているほど高い価値があるとは思えない。もちろん、ある程度の指針を持つことは否定しないけれど、遠い将来に目を向けるより、「今この瞬間」に全力を捧げる方が現実的。神の視点を持たない限りは、未来を確実に予測することなど不可能だから。そして、未来は永遠にやってこない。なぜならば、人はまた「新しい未来」について考え始めるから。そのようなスタンスでは、「今を生きる」ことは決してできない。

Photo by Simon Shim Tachina Lee Hermes Rivera Giammarco Boscaro Simon Migaj Brad Barmore Ugo °

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